【スポンサーリンク】

うちの長男の話 (続きです)

f:id:okuchidekun:20190302105604p:plain

前回のお話はこちらから↓

 

 

www.freestylelab.work

 

 

 

前回は自閉症と診断をされたという所までお話をしたと思います。そこから先のお話をする前に、もう少しそれまでのお話を詳しくしていこうといきます。

 

 

産まれるときのお話

長男が産まれたのは予定日よりちょうど1ヶ月ほど前でした。お世話になる病院の規定により日数と50gほど体重が少なかったのでNICUに産まれてすぐに入院になりました。ちょうど夕食を終え、早めに就寝しようかと思った矢先の破水からの出産。妻は1年前に子宮筋腫で開腹手術をしていたため、帝王切開での出産でした。

 

 産後の経過は良好でして、通常の出産と同じ5日で退院。マススクリーニング検査に引っかかって再検査をしたり、未熟児扱いになるため風邪予防のワクチンを毎月摂取したりと結構大変だった思い出があります。この時点ですでに斜視には気が付いており、家族に相談をしましたが特に相手にされず、気にならないとの答え。それが良かったのか悪かったのかは今でも判断できない部分です。

1ヶ月だけ里帰りをし、後は親子3人で長男の成長を楽しみに見守りながら生活をしていました。生後半年くらいの際に次男の懐妊がわかりまして年子を希望した妻も私も大変喜び、兄になる長男のことを今のうちにと、より一層可愛がりました。

当時は狭いアパート住まいでしたから、4人家族ではとても生活ができないという事で、私の実家で同居することに。出産の3か月前からそれはスタートしました。

 

次男の誕生

次男は長男より約1年2ヶ月の差があり、年子として誕生。次男出産の際には病院側と決めた予定日通りに帝王切開で出産。そして無事に退院をし家に帰った際に今でも心に残る、長男の顔があります。

 約1週間ぶりに母である妻と長男が再会をするわけですが、この時に抱きしめてあげようとしたら次男が大泣きをしておっぱいをせがんだんですね。なので長男はとりあえず後にして、次男の世話をするのですがこの時の長男の顔が今でも忘れられません。自分が一番ではなくなってしまったと悟った顔でした。これがどうしても今でも頭から離れないですし、後日またお話をする予定ですが妻と長男の関係にも大きく影響をしていると思っています。

 

親子教室に通うまで

次男が小さいわけで、私も仕事の休みが少なく長男にとってはストレスのたまる日々が続きます。特に自分が一番でなくなったことが何よりも堪えていたのだと今さらながらに思っています。

次男が生後半年くらいになるまでお出かけというお出かけもしなかったですし、出掛けても買い物程度で、長男にとっては刺激の少ない日が続きます。そんな折に言葉の発生の遅れを母から指摘され、次第に不安が広がっていきました。

母と妻との折り合いもこの辺りから徐々に悪くなってきており、長男と妻だけが一緒にいる時間を何とか作りながら色々な刺激を与えられたらと思い、市が開催している親子教室へ通う事にしました。この教室は昨今の一人っ子が多くなっていることから始められたもので1歳半から2歳くらいまでの子供が対象でした。

初回は妻と私と長男の3人で行き、目新しい歌や遊びなど充実した時間を過ごし、翌週からは妻と長男だけで通うようにしました。その間次男は母に見てもらうようにし、とにかく妻と長男だけの時間を作るようにしました。

 

親子教室に通うようになってから

親子教室へ通うようになって2ヶ月ほどしてから、家庭内での問題も徐々に表に出てくるようになりました。妻と母の折り合いがとにかく悪く、私のいない時間帯に衝突することがあると妻から報告を受けました。ただ衝突と言っても母からの一方的な圧力のみで妻はそれに対して我慢をするだけ。この辺りから妻の体調も優れなくなり、どうしてもその態度は子供達にも表れてしまいます。

私が信じたのは母ではなく妻でした。私と長年付き添い、お互いを理解し、どんな時も支えてくれた妻が嘘を言うわけがないと考えたからです。この時は夏の暑い時だったような気がしますが、即座に別居の申し出をし翌年の春には4人で家を出るきっかけになっています。それまでの期間はとても長く、居心地の悪い日々が続いたことは本当に子供にも妻にも悪いことをしてしまいました。

 

このお話の続きはまた後日。

中々お伝えするのがしんどい内容ですね。